
- カルネアデスの板?
カルネアデスの板とは、古代ギリシャの哲学者のカルネアデスさんが出したと言われている問題です。
「カルネアデスの舟板」とも呼ばれています。
倫理的な物事に切り込む問題となっています。
- それは古代の寓話
話は古代ギリシャの時代。
一隻の船が難破し、乗っていた人たちは全員海に投げ出されてしまいました。
海に投げ出されてしまった一人の男が命からがら、
どうにか浮いていた板切れにしがみつき、浮き輪代わりにしようとしました。
するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする人がやってきました。
板が浮き輪の代わりになれるのはせいぜい一人まで。
二人が板に掴まれば、板そのものが沈んでしまいます。
男は、自分だけが助かろうと後から来た人を突き飛ばしました。
その結果、後から来た人は溺れ、死んでしまいました。
以上の寓話を元に、自分が助かるために他者を犠牲にしたこの男は有罪か無罪か?
というのがカルネアデスの板の問題です。
自分が板から手を離し、板を渡せば自分は死んでしまうでしょう。
どちらも板に掴まれば板は沈み、どちらも助からなかったでしょう。
では自分が助かるために他者を殺すのは正しいのでしょうか?
- 緊急避難
現代の日本の法律では、「緊急避難」としてこの殺人は罪に問われないことになっています。
「自分が助かるために他者を犠牲にせざるを得なかった、他にどうしようもなかったんだ、仕方ない」ということです。
しばし、カルネアデスの板の寓話は緊急避難の例として引用されます。
- 題材にした作品
ミステリーなどではこのカルネアデスの板のように、緊急避難を題材にした作品が多くあります。
漫画「金田一少年の事件簿」内の悲恋湖伝説殺人事件では、
事件の3年前に起こった船の沈没事故にて、犯人の恋人はボートに乗せてもらえず死亡。
彼女をボートに乗せることを拒んだ人物の回想や事件の真相解明時に「カルネアデスの板」がモチーフにされています。
- どうする?
これを呼んだ皆さんはどう思うでしょうか?
「緊急避難だから正当だ、仕方ない」と思うでしょうか。
それとも「どんな緊急時であれ人命は尊ぶべきであり、殺人などもってのほかだ」と思うでしょうか。
果たしてどちらが正しいのか。
ちなみに、元となった寓話では、
自分が助かるために他者を突き飛ばして殺した男は殺人罪として裁判にかけられたものの、罪には問われませんでした。
倫理的な問題って難しいですよね。
ところで素朴な疑問なのですが、板切れって浮き輪代わりになるほど浮くんですかね?
ただの木の板なんて一人が掴まっただけでも沈みそうなものですけど…。
ものすごく浮く板でもあったんでしょうか…?