「自由閣達な議論ができる社風」

 

このスローガンは、多くの企業で経営目標の一つとして掲げています。

そのような社風の企業も存在するのでしょうが、依然として多くの企業の実態は、

「自由閣達な議論ができる社風」とは大きくかけ離れているのではないのでしょうか。

なぜなら、「自由閣達な議論ができる社風」の実現は日本企業に組み込まれたDNAを否定するものと考えられるからです。

 

ここで、グローバル化が進んだ社会で永遠のテーマとも言える、

「日本人と欧米人との考え方の違い」について触れてみたいと思います。

「ディベートは当然のものとする欧米人」と、「根回しを主としてディベートは避けようとする日本人」、

この相反する考え方を比較することにより、

グローバル企業に限らず「自由閣達な議論ができる社風」作りの大きなヒントを得ると同時に、

成熟した大企業ではどれだけ難しいことなのかがご理解できると思います。

 

欧米:「論理思考」vs日本:「暗黙了解」

第一に、欧米人の間では、結論を出すためには、「理論と、それを裏づける事実・事象が必須」という考え方が一般的です。

従って、たとえ結論が正しく最適だと思われるものであっても、それを導く論理のプロセス、

言い換えると論理思考が明確かつ適切でなければ、結論として認められないことの方が多いのです。

一方で、日本人は「結論に至るプロセスよりも、“連帯”と“和”が重要である」という考え方が強いのではないでしょうか。

従って、日本の企業では会議という本来であれば出席者全員で議論すべき場において、

責任の所在を明確にしないまま連帯責任という暗黙の了解の基に、

すでに事前の根回しで得られていた結論を確認するだけことが多くなるのです。

欧米:「専門家重用」vs日本:「組織内完結重視」

第二に、欧米人の考え方として「自社の専門外の案件に対しては、

その対処法について社内で議論などせず外部機関であろうとも専門家に依頼するべきだ。

なぜなら、専門家は支払われる報酬の対価として権限と責任を負うからだ」という考え方があります。

一方、日本人は「たとえ自社の専門外、あるいは未知の案件であろうとも、全て組織内で叡智を集めて対処すべき」と考えがちです。

そして社内で(形上の)議論をした結果、「自社はどうすべきかよりも、業界大手がどうしているか」

といった単なる環境要因の一つに過ぎない一面を重視し

、比較対象の行動に対して盲目的に追従するという結論が現われやすくなるのです。話が若干逸れますが、

この傾向は例えばあるチャレンジングな試みに対し業界全体が「よその会社が成功したら、自分たちもやってみよう」

というチキンレースに陥りがちなことにも現れています。

従って、次第に日本企業発のイノベーションが起こりにくくなっているのです。

 

欧米:「議論重視」vs日本:「根回し重視」

第三に、欧米人には、

「互いの主張に対して互いにノーと言い合って、そこで初めて会議が始まる」という考え方があります。

一方、日本人の場合は「根回しという事前説明に力を入れ、会議と言う公の場での議論は極力避けたい」という考え方が主流です。

この傾向は大企業になればなるほど強くなります。従って、ゼロから議論し合い何かを決定する会議というのはほとんど無く、

単なる報告会・説明会といった色彩の強いものが大半を占める傾向にあるのです。

 

欧米:「自己弁護」vs日本:「和」

第四に、欧米人は、「ビジネス上であっても互いの権利義務に影響を及ぼさない類のミスや、

その他の小さなミスについては大袈裟に謝るが

、一旦非を認めれば確実に自身の責任を負わされるであろう重大なミスについては、

よほどの証拠を突き付けられない限りは頑固なまでに謝らない」という考え方が徹底しています。

一方、日本人は「その場の雰囲気や和を大切にしようとし、何に対しても謝った方が無難だ」という考え方が根強くあり、

「すみません」など謝罪の言葉が枕詞にすらなっています。従って、日本人は一般的な会議の場であろうと国際外交の場であろうと、

言い訳をしながら謝ることが多くなる傾向があるのです。これは欧米人の目には非常に奇異に映っています。

 

以上四点の「欧米人と日本人の考え方の違い」を検討するだけでも、「自由閣達な議論ができる社風」の実現には、

マネジメント層がこれまでの自分たちを否定するつもりで取り組む必要がある難題であることがご理解頂けると思います。

また、これは「企業のDNAの入れ替え」とも言うべきものであり、企業にとっては耐え難い外科手術にすらなり得るのです。