
- 突然ですが
突然ですが、薄毛に悩まされていませんか?
バーコードからM字、500円玉…色々な形状のハゲがあると思います。
原因も年齢だったり体質だったり遺伝だったりストレスだったり、様々な要因がありますよね。
今回は、そんな薄毛のお悩みを解決する(かもしれない)哲学の話です。
- つるつる
「髪の毛が1本もないひとはハゲである」。
これは間違いなく世界の真理です。
どこからどう見てもハゲです。かわいそうですが、ハゲです。
では、このハゲのひとに髪の毛を1本足したらどうでしょうか?
いやそれでもハゲです。これが2本、3本となってもハゲです。10本になってもハゲでしょう。
かわいそうなのでもう1本足しましょう。11本になってもハゲです。
ハゲって文字がこの文章中に何回出て来たか数えたくなるくらいハゲですね。
ちなみにここまでで10回です。
ではもう1本。もう1本。もう1本……ずーーーっと足していきましょう。
頭皮をびっしり埋め尽くすほどの髪の毛が生えました。でもこの人はハゲです。
え? どう見てもフサフサじゃないかって?
ではフサフサとツルツルの間ってどこにありましたか?
明確に、何本目で「ツルツル」から「フサフサ」になりましたか? 50本目? 100本目?
答えられないでしょう。境界は曖昧です。
これが「はげ山のパラドックス」といわれるものです。
髪の毛がない人をハゲと定義しているけど、その「髪の毛がない」って具体的に何本から?
というこの問題は言葉の定義に対して疑問を投げかける哲学です。
「髪の毛が1本もない人はハゲである」という前提に
「髪の毛が1本もない人に髪の毛を1本足してもハゲである」という前提を繰り返し適用していくことで、
「人間は全員ハゲである」という逆説的な結論が出せます。
そう、みんなハゲなのです。全員ハゲだから怖くない。
みんな薄毛なのだから、あなたも薄毛で悩まなくてもいいんです。
さぁ、これで薄毛の悩みは解決しましたよ!
似たようなものに「砂山のパラドックス」があります。
詳しくは砂山のパラドックスを解説している別の記事に任せますが、薄毛の例で言い換えると以下のような哲学です。
「髪の毛がフサフサな人がいる」という前提に
「髪の毛がフサフサな人から髪の毛を1本抜いてもフサフサである」という前提をぶつけます。
1本むしりましょう。薄毛の人には悲鳴をあげたくなる光景かもしれませんが、また1本いってみましょう。
もう1本。もう1本。ついには頭皮に1本もなくなってしまいました。
でもこの人は髪の毛がフサフサの人です。どう見てもハゲている?
では何本目から「フサフサ」から「ツルツル」になりましたか?
…というような、「はげ山のパラドックス」が足し算なら「砂山のパラドックス」は引き算のようなものです。
つまり「砂山のパラドックス」の例でいうと、
たとえ頭皮に1本も毛がなくともあなたはフサフサなのだと言い換えることができます。
さぁ、これで薄毛の悩みが解決してしまいました。
よって、「はげ山のパラドックス」と、ついでに「砂山のパラドックス」を合わせて薄毛に悩む皆さんはこう言えます。
皆ハゲで自分だけフサフサだと!!