
- 張り紙禁止のパラドックス
張り紙禁止のパラドックスは、数あるパラドックスのうちのひとつです。
パラドックスとは、逆説、背理、逆理とも言われるもののことです。
正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉のことです。
- 「張り紙禁止」という張り紙
電柱やシャッターや壁などに、
店の名前や電話番号を書いたシールがベタベタ張られているという光景をよく見かけると思います。
あれって貼られる側には無許可であることの方が多いようです。
貼られる側としては景観も崩れるし、とても迷惑ですよね。
ですから見つけるたびに剥がしていると思います。
それでも貼る側はめげずにベタベタ貼ってくるんですよね。
なので貼られる側は「張り紙禁止!」と警告した張り紙を張る…という手段に出るわけです。
あれ? でもこれって、矛盾してませんか?
「張り紙禁止」これはわかります。
でも、そのメッセージを書いた張り紙を張るのは、「張り紙禁止」に引っかからないんでしょうか?
「張り紙禁止」の文章にのっとるなら、この警告も立派な張り紙です。よって、貼ってはいけません。
はたして、「張り紙禁止」の張り紙は許されるのでしょうか?
- 目的と手段の矛盾
目的を達成するためには目的と矛盾した手段を取らなければいけない。
これが張り紙禁止のパラドックスの本質です。
似たような目的と手段の矛盾のパラドックスは他にもあります。
代表的なものでは「全能のパラドックス」というものです。
- 全能のパラドックス
あらゆることができる全能の神様がいます。
この神でも決して持ち上げられない岩は存在するでしょうか?
これが、全能のパラドックスです。
全能の神でも持ち上げられない岩というものが存在するのならば、「神は全能である」という言葉に矛盾します。
岩を持ち上げられないのなら、それは「あらゆることができる全能」とはいえませんからね。
しかし、神が岩を持ち上げてしまうと、「決して持ち上げられない岩」という言葉に矛盾します。
持ち上げられるならそれは「決して持ち上げられない岩」ではありませんからね。
「全能の神」も「決して持ち上げられない岩」もどちらも存在してしまうと矛盾が発生します。
矛盾という言葉の由来である「すべてを貫く矛」と「すべてを防ぐ盾」の関係もこれに相当します。
- 「張り紙禁止」の張り紙は許されるのか
こちらが立てばあちらが立たずという矛盾の世界ですが、話を張り紙禁止の張り紙に戻しましょう。
張り紙禁止の張り紙ですが、「私のするようにではなく、言うようにせよ」という事を張り紙は主張したいんでしょう。
その意図を読むことができれば、張り紙禁止の張り紙は許容されるはずです。
そもそも勝手にベタベタ貼らなければ張り紙禁止の張り紙も貼らなくて済むんですけどね!