哲学的ゾンビとは?

  • 自分から見た他人

あなたは「自分以外の他人が何を考えているか」を気にしたことがあるでしょうか?

喜怒哀楽といった感情から、「今日の夕飯はあれにしよう」と具体的な思考まで、

他人が何を考えているか」を考えたことがあるでしょうか?

「もしかしたら自分以外は精巧なロボットなんじゃないか…」なんて考えが思い浮かんだことはありますか?

今回はそういった心の哲学を紹介します。

 

  • 意識を持たない人間

「自分以外の他人はすべて精巧に作られたロボットではないか」

「自分以外の他人は巧妙にプログラムされたことを実行しているだけでそこに意思などないのではないか」

こういった考え方を「哲学的ゾンビ」といいます。

ちょっと難しく言うと、哲学的ゾンビとは「クオリアを持たない人間」とされます。

クオリアとは、意識や意思、感情、感覚といった精神的なものすべてをひっくるめた自我のこと、つまり「こころ」のことです。

「こころ」が死んでいるが物理的、科学的に動いている屍ということで、ホラー映画から借用し「哲学的ゾンビ」と呼ばれています。

 

ここで注意しておきたいのが、哲学的ゾンビとは、単に冷血であったり感情が希薄な人間のことではありません。

また、何かしらの精神疾患を指す医学用語でもありません。

哲学的ゾンビとは概念的なものです。

傍目から見れば人間らしく怒りもするし笑いもします。

悲しむこともあれば、時には熱心に議論することだってあります。

ですがそこには「こころ」(クオリア)が存在しないのです。

SFジャンルの映画や漫画に出てくる精巧なアンドロイドはまるで人間そっくりですが、そこに「こころ」はありません。

「こういう時にはこうする」というのを何度も学習し、複雑な感情を表現しようとしているにすぎません。

そういった機能を持った生身の人間が哲学的ゾンビです。

「脳みそだけプログラムの生身の人間」というとわかりやすいかもしれませんね。

 

たとえば、ご飯時になったとしましょう。

あなたはそろそろ「お腹が減ったな」と思ってご飯を食べようとします。

しかし哲学的ゾンビは「お昼時だからご飯を食べる」という概念に従って行動します。

そこに「お腹が減った」という意識はありません。

「朝の7時になったら朝食をとる」

「昼の12時になったら昼食をとる」

「夜の7時になったら夕飯をとる」

というシステムがプログラムされているからそうするだけなのです。

ご飯を食べようと思い、キッチンに向かったあなたはそこでゴキブリを見たとします。

大騒ぎすると思いますが、それはゴキブリが気持ち悪い生き物で恐怖の対象であり、「怖い」という感情があるから騒ぐのです。

しかし哲学的ゾンビは「ゴキブリを見た人間は一般的に恐怖心から騒ぐ」

「恐怖心ゆえの行動とは、震えたり悲鳴をあげたり逃げ出そうとすることだ」という概念を実行するだけです。

「ゴキブリは怖い」「気持ち悪くて怖い」という意識はそこにはないのです。

一般的に「そう」だから「そう」するというのが哲学的ゾンビの思考です。

 

どうでしょうか?

ちょっと怖くなってきませんか?

もしかして、この文章もインターネットの向こうでAIが自動生成している文章かもしれませんよ?

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